「パウロの2つの愛のはざま」

メッセージ泉川良道牧師

ピリピ人への手紙1章21~25節

わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。しかし、肉体にとどまっていることは、あなたがたのためには、さらに必要である。こう確信しているので、わたしは生きながらえて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を進ませ、その喜びを得させようと思う。

「年老いたダビデの人生の縦軸」

メッセージ 泉川良道牧師

聖書 詩篇37編25,26節

わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、 正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が 食物を請いあるくのを見たことがない。 正しい人は常に寛大で、物を貸し与え、 その子孫は祝福を得る。

「キリストの弱さとパウロの強さ」

メッセージ泉川良道牧師

聖書 コリント人への第2の手紙12章9,10節

ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

「疑わず信じて願い求める」

メッセージ:新垣達也牧師

聖書の箇所:ヤコブの手紙1:2~8

わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。 あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。

「主をほめたたえること恵み」

メッセージ泉川良道牧師

聖書 詩篇147:1~5

主をほめたたえよ。 われらの神をほめうたうことはよいことである。 主は恵みふかい。 さんびはふさわしいことである。 主はエルサレムを築き、 イスラエルの追いやられた者を集められる。 主は心の打ち砕かれた者をいやし、 その傷を包まれる。 主はもろもろの星の数を定め、 すべてそれに名を与えられる。 われらの主は大いなる神、 力も豊かであって、その知恵ははかりがたい。

「イエスのところに泊ったアンデレ」

その翌日、ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた、「何か願いがあるのか」。彼らは言った、「ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか」。イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこで彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。時は午後四時ごろであった。 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。 (ヨハネによる福音書1章35~40節)

「イエスを仰ぎ見つつ」

メッセージ 泉川良道牧師

聖書の箇所 へブル人への手紙12章2節

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。

「御子イエスを信じるものは裁かれないとは?」

メッセージ「御子イエスを信じるものは裁かれないとは?」泉川良道牧師

聖書の個所:ヨハネによる福音書3章17,18節

神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。

「みことばの満たしと聖霊による変化」

聖書の箇所 ヨハネによる福音書2章6~8節

そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。