「土の器に表れるイエスの死といのち」

メッセージ「土の器に表れるイエスの死といのち」泉川良道牧師

聖書 コリント人への第2の手紙4章5~12節

しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える。わたしたち自身は、ただイエスのために働くあなたがたの僕にすぎない。「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。 しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。 わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。 こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。

「イエス様が敷かれた御国への道」

メッセージ「イエス様が敷かれた御国への道」泉川良道牧師

聖書の箇所 イザヤ書42章1~4節

わたしの支持するわがしもべ、 わたしの喜ぶわが選び人を見よ。 わたしはわが霊を彼に与えた。 彼はもろもろの国びとに道をしめす。 彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、 その声をちまたに聞えさせず、 また傷ついた葦を折ることなく、 ほのぐらい灯心を消すことなく、 真実をもって道をしめす。 彼は衰えず、落胆せず、 ついに道を地に確立する。

「しかし主を待ち望む」

メッセージ「しかし主を待ち望む」田中歩美執事
聖書の箇所 イザヤ書40章27~31節
ヤコブよ、何ゆえあなたは、
「わが道は主に隠れている」と言うか。
イスラエルよ、何ゆえあなたは、
「わが訴えはわが神に顧みられない」と言うか。
あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。
弱った者には力を与え、
勢いのない者には強さを増し加えられる。
年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。

「一番大切なもの」

メッセージ 「一番大切なもの」 渡真利彦文牧師

聖書の箇所 コリント人への第一の手紙3章5~15節

アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。 神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、その仕事が焼けてしまえば、損失を被るであろう。しかし彼自身は、火の中をくぐってきた者のようにではあるが、救われるであろう。