「赦すこと赦されること」

【聖書の個所】

しかし、もしだれかが人を悲しませたとすれば、それはわたしを悲しませたのではなく、控え目に言うが、ある程度、あなたがた一同を悲しませたのである。その人にとっては、多数の者から受けたあの処罰でもう十分なのだから、あなたがたはむしろ彼をゆるし、また慰めてやるべきである。そうしないと、その人はますます深い悲しみに沈むかも知れない。そこでわたしは、彼に対して愛を示すように、あなたがたに勧める。わたしが書きおくったのも、あなたがたがすべての事について従順であるかどうかを、ためすためにほかならなかった。もしあなたがたが、何かのことについて人をゆるすなら、わたしもまたゆるそう。そして、もしわたしが何かのことでゆるしたとすれば、それは、あなたがたのためにキリストのみまえでゆるしたのである。そうするのは、サタンに欺かれることのないためである。わたしたちは、彼の策略を知らないわけではない。

(コリント人への第2の手紙2章5~11節)

「義と平和と聖霊による喜び」

【聖書の個所】

それゆえ、今後わたしたちは、互にさばき合うことをやめよう。むしろ、あなたがたは、妨げとなる物や、つまずきとなる物を兄弟の前に置かないことに、決めるがよい。わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。もし食物のゆえに兄弟を苦しめるなら、あなたは、もはや愛によって歩いているのではない。あなたの食物によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも、死なれたのである。それだから、あなたがたにとって良い事が、そしりの種にならぬようにしなさい。神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。こういうわけで、平和に役立つことや、互の徳を高めることを、追い求めようではないか。

(ローマ人への手紙14章13~19節)

「祈られる恵みを知る」

【聖書の個所】

シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。シモンが言った、「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」。するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。

(ルカによる福音書22章31~34節)

「暗きに留まらせようとする力」

【聖書の個所】

イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。 そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。 この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。 そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。 そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。(マルコによる福音書6章1~6節)