「愛し合うことによる心の借り」

【聖書の個所】

互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。 愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。

(ローマ人への手紙13章8~10節)

「死の向こう側に向かって生きる」

【聖書の個所】

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。 わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。 トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。

ヨハネによる福音書14章1~7節

「伝道者ソロモンの遺言」

【聖書の個所】

第12章
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。 その日になると、家を守る者は震え、力ある人はかがみ、ひきこなす女は少ないために休み、窓からのぞく者の目はかすみ、町の門は閉ざされる。その時ひきこなす音は低くなり、人は鳥の声によって起きあがり、歌の娘たちは皆、低くされる。彼らはまた高いものを恐れる。恐ろしいものが道にあり、あめんどうは花咲き、いなごはその身をひきずり歩き、その欲望は衰え、人が永遠の家に行こうとするので、泣く人が、ちまたを歩きまわる。 その後、銀のひもは切れ、金の皿は砕け、水がめは泉のかたわらで破れ、車は井戸のかたわらで砕ける。 ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。伝道者は言う、「空の空、いっさいは空である」と。
さらに伝道者は知恵があるゆえに、知識を民に教えた。彼はよく考え、尋ねきわめ、あまたの箴言をまとめた。伝道者は麗しい言葉を得ようとつとめた。また彼は真実の言葉を正しく書きしるした。
知者の言葉は突き棒のようであり、またよく打った釘のようなものであって、ひとりの牧者から出た言葉が集められたものである。わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。
事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。

(伝道の書 12章)

「聖餐式を意味あるものとさせるもの」

【聖書の個所】

だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである。しかし、自分をよくわきまえておくならば、わたしたちはさばかれることはないであろう。しかし、さばかれるとすれば、それは、この世と共に罪に定められないために、主の懲らしめを受けることなのである。それだから、兄弟たちよ。食事のために集まる時には、互に待ち合わせなさい。もし空腹であったら、さばきを受けに集まることにならないため、家で食べるがよい。そのほかの事は、わたしが行った時に、定めることにしよう。

(コリント人への第1の手紙11章26~31節)