「パウロとシラス」

【聖書の箇所】 彼女の主人たちは、自分らの利益を得る望みが絶えたのを見て、パウロとシラスとを捕え、役人に引き渡すため広場に引きずって行った。 それから、ふたりを長官たちの前に引き出して訴えた、「この人たちはユダヤ人でありまして、わたしたちの町をかき乱し、 わたしたちローマ人が、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しているのです」。 群衆もいっせいに立って、ふたりを責めたてたので、長官たちはふたりの上着をはぎ取り、むちで打つことを命じた。 それで、ふたりに何度もむちを加えさせたのち、獄に入れ、獄吏にしっかり番をするようにと命じた。 獄吏はこの厳命を受けたので、ふたりを奥の獄屋に入れ、その足に足かせをしっかとかけておいた。真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。 ところが突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった。 獄吏は目をさまし、獄の戸が開いてしまっているのを見て、囚人たちが逃げ出したものと思い、つるぎを抜いて自殺しかけた。 そこでパウロは大声をあげて言った、「自害してはいけない。われわれは皆ひとり残らず、ここにいる」。 16:29すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて、おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。 それから、ふたりを外に連れ出して言った、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。 ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。 それから、彼とその家族一同とに、神の言を語って聞かせた。 彼は真夜中にもかかわらず、ふたりを引き取って、その打ち傷を洗ってやった。そして、その場で自分も家族も、ひとり残らずバプテスマを受け、 さらに、ふたりを自分の家に案内して食事のもてなしをし、神を信じる者となったことを、全家族と共に心から喜んだ。(使徒行伝16:16~34)

「祝福することだけに専念する」

【聖書の箇所】あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。 互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。 だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。(ローマ人への手紙12:14~17)

「人間の知恵をこえる知恵をもつ方法」

【聖書の箇所】しかしわたしたちは、 円熟している 者の 間では、 知恵を 語る。この 知恵、この 世の者の 知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの 知恵ちえでもない。むしろ、わしたちが 語るのは、 隠された 奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、 世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。この世の 支配者たちのうちで、この知恵を 知っていた 者は、ひとりもいなかった。もし 知っていたなら、 栄光の 主を 十字架につけはしなかったであろう。 しかし、 聖書に 書いてあるとおり、「 目がまだ 見ず、 耳がまだ 聞かず、 人の 心に 思い 浮かびもしなかったことを、 神は、ご 自分を 愛する 者たちのために 備えられた」のである。 そして、それを 神は、 御霊によってわたしたちに 啓示して 下さったのである。 御霊はすべてのものをきわめ、 神の 深みまでもきわめるのだからである。 いったい、 人間の 思いは、その 内にある 人間の 霊 以外に、だれが 知っていようか。それと 同じように 神の 思いも、 神の 御霊 以外には、 知るものはない。 ところが、わたしたちが 受けたのは、この 世の 霊ではなく、 神からの 霊である。それによって、 神から 賜った 恵みを 悟るためである。 この 賜物について 語るにも、わたしたちは 人間の 知恵が 教える 言葉を 用いないで、 御霊の 教える 言葉を 用い、 霊によって 霊のことを 解釈するのである。 生れながらの 人は、 神の 御霊の 賜物を 受けいれない。それは 彼には 愚かなものだからである。また、 御霊によって 判断されるべきであるから、 彼はそれを 理解することができない。 しかし、 霊の 人ひとは、すべてのものを 判断するが、 自分 自身はだれからも 判断されることはない。 2:16「だれが 主の 思いを 知って、 彼を 教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの 思いを 持っている。(1コリント2:6~16)

「十字架のキリスト以外を語らない」

【聖書の箇所】兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。 なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。 わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。 そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。 それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。(1コリント2:1~5)