『聖さにあずからせるための試練』

【聖書の箇所】へブル人への手紙12章10~12節

肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。

『信仰の完成者を仰ぎ見て走る』

【聖書の箇所】へブル人への手紙12章1,2節

こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。

『年老いてなお自由にさせることば』

【聖書の箇所】ヨハネによる福音書8章31,32節

イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。

「伝道のテーマは自由」

【聖書の箇所】マルコによる福音書1章32~34節

夕暮になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。 こうして、町中の者が戸口に集まった。 イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。また、悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである。

「あなたの信仰は強い?弱い?」

【聖書の箇所】ローマ人への手紙14章1~4節

それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。 もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。

「感謝で広がるさらなる恵み」

【聖書の箇所】マタイによる福音書15章32~39節

イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。しかし、彼らを空腹のままで帰らせたくはない。恐らく途中で弱り切ってしまうであろう」。 弟子たちは言った、「荒野の中で、こんなに大ぜいの群衆にじゅうぶん食べさせるほどたくさんのパンを、どこで手に入れましょうか」。イエスは弟子たちに「パンはいくつあるか」と尋ねられると、「七つあります。また小さい魚が少しあります」と答えた。そこでイエスは群衆に、地にすわるようにと命じ、七つのパンと魚とを取り、感謝してこれをさき、弟子たちにわたされ、弟子たちはこれを群衆にわけた。一同の者は食べて満腹した。そして残ったパンくずを集めると、七つのかごにいっぱいになった。食べた者は、女と子供とを除いて四千人であった。そこでイエスは群衆を解散させ、舟に乗ってマガダンの地方へ行かれた。

「測り知れない神の平安」

【聖書の箇所】ぴりぴ人への手紙4章4~7節

あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

「なぜ7度の70倍を許すのですか?」

【聖書の箇所】マタイによる福音書18章21,22節

そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。 1イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。